霧島市立医師会医療センター
(鹿児島県 霧島市)
河野 嘉文 病院長
最終更新日:2025/04/04


姶良地区の急性期医療を担い地域を支える
1943年開設の隼人海軍病院を始まりとし、結核療養所である国立療養所霧島病院、隼人町立医師会医療センターを経て開業した「霧島市立医師会医療センター」。管理運営するのは霧島市を含む市町で構成される姶良地区医師会で、地域医療の中核を担う病院として急性期医療に携わる。2025年2月には建物の老朽化に伴い移転。新たに手術支援ロボットやPET-CTなどを導入し、入院室を全室個室化するなど医療環境を一新した。同院について「霧島市が築いた市民の財産」と語るのは、2021年から現職を務める河野嘉文病院長。先進の小児医療を学び、大学病院では若手育成にも尽力した河野病院長に、急性期病院としての使命や地域医療が置かれる現状、同院が取り組む医療連携や今後の展望などについて、たっぷりと語ってもらった。(取材日2025年3月10日)
病院の成り立ちやこれまでの歩みをお聞かせください。

当院の始まりは1943年に創設された隼人海軍病院で、戦後には国立の医療機関となり結核療養、さらには一般患者の診療に応じてきました。国立病院・療養所の再編計画に伴い、2000年に当時の隼人町へ経営が移譲され、隼人町立医師会医療センターが開設されました。そして2005年の平成の大合併で隼人町のほか、国分市と姶良郡溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・福山町の1市6町が合併して霧島市となり、現在の「霧島市立医師会医療センター」と名称を改めたのです。名称にあるように、当院は霧島市立の総合病院ですが、病院運営自体は霧島市・姶良市・姶良郡湧水町で構成される姶良地区医師会が担っています。消化器や呼吸器、脳神経などの外科手術や救急医療など、地域の中核病院として先進的な医療の提供に力を尽くしています。
地域の急性期医療を担っているのですね。

当院は20年ほど前から消化器病センターを開設し、消化器内科・外科ともに強化し、伝統的に守り続けてきました。さらに近年は呼吸器外科や泌尿器科のがん治療にも積極的に取り組んでいます。一方で、当院では対応が難しい乳腺疾患や婦人科がんの治療では、他の医療機関と連携を図ることで適切な医療への橋渡しを行っています。経営的な側面から言えば、急性期医療の提供は決して容易なことではありません。ですが、だからといって手を引いてしまえば、住民にとって非常に不便になってしまいますし、不安感も強くなってしまうでしょう。姶良市と霧島市は、鹿児島県内でも人口減少があまり見られないという特徴があります。子どもを含め、多様な世代が暮らす姶良地区に、必要とされる医療を提供すること。これが当院の大きな使命と考え、急性期医療、救急医療、小児医療など幅広く対応しています。
2025年2月の移転により、どのような変化がありましたか?

病床数は移転前と同じ254床で、全室が個室仕様となりました。約10年前に移転計画が立ち上がった段階で、全室個室化が検討されていたと聞いており、先般のコロナ禍には間に合いませんでしたが、全室個室化によって今後の新興あるいは再興感染症流行時にもより役立てる病院となりました。診療面においては、外科医療の充実を図るため手術支援ロボットを導入。これにより、若手外科系医師の確保に弾みがつき、要望の多かった泌尿器科手術にも対応できるようになりました。他にも、移転に際して導入されたのが、PET-CTです。これまで、このエリアにお住まいの患者さんは、PET-CT検査を受けるためには遠くの医療機関まで出向く必要があったかと思いますが、導入により当院でもお受けいただけるようになりました。PET-CTの導入は地域からの要望も大きかったことから、今回の移転計画に際して実現しました。
姶良地区の内外ではどのような医療連携を図っているのですか?

医師会が運営する医療機関であることから、当院の状況については医師会の会員医師や病院・クリニックに常に情報提供を行っています。併せて、会員医師からの当院に対する要望なども吸い上げることで、地区全体の医療の質の向上につなげています。三次救急のように当院では対応しきれない救急患者さんに関しては、救命救急センターを持つ医療機関に搬送しています。鹿児島市内の病院とは普段から密接に連携しており、手術を終えた患者さんの術後フォローを当院が担い、その後地域のクリニックに送り届けています。また当院は鹿児島県の中央部に位置し、鹿児島空港から車で15分ほどと、離島などの患者さんを受け入れやすい立地にあります。これを強みにすることで、鹿児島県の医療に貢献できる病院としてのさらなる展開もあり得ると感じております。
今後の展望をお聞かせください。

当院は、霧島市が築いた市民の共有財産であり、24時間365日体制の救急医療を提供するため、人員をそろえている素晴らしい病院だと思っています。この財産を有効的に活用するためにも、適切な形で急性期医療を提供し、スムーズに後方支援病院につなぐことを目標に運営していきたいと考えています。また、次世代の若手の育成にも力を注いでいく考えです。私が着任する以前から、当院は小規模ながら臨床研修病院として若手育成に取り組んでおり、看護師など医療従事者のレベルアップも応援してきました。この伝統を守り、当院で活躍したいという人材を育てていきたいです。住民の満足度を保ちながら、質を落とさず、医療者側の働きやすさなどにも目を向けてまいります。霧島市民の方はもちろん、姶良地区に暮らす方々にも、当院を共有財産として捉え、有効活用していただければ幸いです。

河野 嘉文 病院長
1981年鹿児島大学医学部卒業後、初期研修のため聖路加国際病院に入職。小児医療の中でも小児血液腫瘍学を専門に学ぶ。その後、郷里の徳島大学医学部小児科医局に入局する。スイス・バーゼル大学で再生不良性貧血の先進的な治療について学んだ経験も。九州がんセンター(旧・国立病院九州がんセンター)では、小児の造血細胞移植に関する研鑽を積み、2002年に鹿児島大学医学部教授に就任。2021年より現職。