広島赤十字・原爆病院
(広島県 広島市中区)
古川 善也 院長
最終更新日:2024/04/04
広島の歴史と歩み地域を支える総合病院
広島市の中核的な病院として地域医療を支える「広島赤十字・原爆病院」。 広島への原子爆弾投下で被災し、医療拠点の一つとなった歴史的経緯から被爆者医療を数多く積み重ねてきた病院だ。中でも血液疾患、悪性腫瘍への注力を背景に、無菌室53床、外来科学療法室56床と大規模な設備を備え、周辺地域だけでなく西日本一連からも患者が訪れる。また、地域がん診療連携拠点病院、災害拠点病院、難病診療分野別拠点病院にも指定されるなど多彩な機能も同院の大きな特徴だ。一般病棟は565床を数え、約1300人のスタッフが、人道・博愛の赤十字精神のもと、質の高い医療の提供をめざしている。場を和ませる明るい人柄とリーダーシップで同院をけん引する古川善也院長に、同院の歩みと特徴、診療にかける思いについて話を聞いた。(取材日2024年1月23日)
病院の成り立ちについて教えてください。
日中戦争の頃、広島の宇品港は日本軍の出兵拠点だったため、1939年に日本赤十字社広島支部病院として開院。負傷軍人を診る広島陸軍病院赤十字病院となりました。1945年8月6日、原子爆弾が投下され爆心地から約2キロ圏内が焦土化し、当院も圏内でしたが鉄筋コンクリートだったため外観は焼け残り、被害を受けた人々が押し寄せてきました。被爆者の中には、それまで無傷だった人が亡くなる、髪が抜ける、下痢をする、皮膚に点状出血が出るなどの症状が出ました。さらに被爆から3年経過した頃から白血病の患者が増加。原爆による爆風・熱線・放射線による障害を原爆症として、2代目院長の重藤文夫先生が世界に公表しました。その経緯から原爆被爆者専用の病院が必要であろうと、当時のお年玉つき年賀はがきの収益で1956年日本赤十字社広島原爆病院を設立。その後、同じ敷地内にあった広島赤十字病院と1988年に合併し現在に至ります。
原爆症の専門病院という点は大きな特徴ですね。
当院では、原子爆弾の影響によって引き起こされる血液疾患や悪性腫瘍の患者さんを数多く診てきました。そのため、血液疾患を含むがん治療は、当院の診療の柱となっており、地域がん診療連携拠点病院に指定されています。がん治療に関しては、手術支援ロボットを導入した手術を行い、放射線治療においては病巣に精密に放射線を照射する先進の放射線装置を導入し、これとは別に、全身照射用の装置も1台導入しています。また、遺伝子異常に対応する治療法を探すためのがん遺伝子パネル検査の導入、AI機能を搭載した胸部エックス線CADサービスの活用、抗がん薬混合調製ロボットによる調剤の省力化も図っています。当院の使命である被爆者医療においては、患者さんの平均年齢が85歳を超えました。これまでの急性期医療だけではなく、今後求められる、患者さんに寄り添う医療の実現をめざし試行錯誤を続けています。
難病診療分野別拠点病院、災害拠点病院にも指定されていますね。
はい。広島県では難病の早期診断と適切な医療を受ける体制を整備するため、難病診療分野別拠点病院、難病医療協力病院を指定しています。神経・筋、免疫、骨・関節、血液、消化器の5つに分かれており、当院は免疫、血液、消化器の3つの分野の難病診療分野別拠点病院です。また、神経・筋と骨・関節では難病医療協力病院に指定され、難しい疾患を幅広く診ることが当院の臨床の特徴です。また、臨床以外では赤十字病院としての役割である救急医療、災害医療にも注力しています。当院は2次救急指定医療機関ですが、3次に近い2.5次救急の対応に取り組み、災害発生時に重症傷病者を受け入れるとともに、災害医療コーディネーターの育成と常備救護班6班、災害派遣医療チーム(DMAT)2チームを擁しています。これまで、阪神・淡路大震災や東日本大震災、今年発生した能登半島地震などの被災地へ派遣しています。
コ・メディカルにおける取り組みについても教えてください。
当院ではPFM(Patient Flow Management)をかなり早くから始めています。これは、プライバシーに配慮した個室で、患者の病歴の聴取や入院生活の案内などを行うシステムで、当院の場合、看護師が率先して始め、病院が後押しする形で広がっています。病院の建て替えの際に47人をPFMに配置し体制を整えました。また、栄養課では、加熱調理した料理を短時間で急速冷却してチルド冷蔵で保管し、提供時間に合わせて再加熱カートで加熱して配膳するシステム(ニュークックチル)を導入しており、例えば朝早くから準備が必要な朝食などに有用です。当院ではこのシステムを非常にうまく使いこなしていることから、さまざまな施設からの見学が絶えません。また、原爆病院という立ち位置から、毎年7月~8月にかけては慰問が多く、子どもから高校生までを対象にした平和学習にも取り組んでいます。
最後に今後の展望をお聞かせください。
県立広島病院の移転計画があり、今後は当院が宇品地区の近くで、特に大きい病院になります。宇品地区の広い範囲をカバーしていくことが当院の役割になりますが、日中は問題なく対応できても、夜間の対応はどうなるのか。働き方改革とのバランスを考えると非常に難しい問題だと思っています。また現在、診療は予約制ですが、待ち時間の短縮も課題の一つです。ただ、採血から結果が出て診療という一連の流れをシステム化し、大幅な時間短縮を実現しているため、多くの医療従事者が見学に来ています。当院は地域の中核的な病院として、これからも急性期医療を中心とした診療を提供し、紹介や逆紹介を含めた病診連携、病病連携の中での役割を果たしていきたい考えです。また、先進的な設備や技術は積極的に取り入れ、地域住民の皆さんに還元していきたいですね。それは、職員にとっても、地域における当院の役割を理解するために非常に重要なことであると思います。
古川 善也 院長
1980年広島大学医学部卒業後、広島大学医学部附属病院内科に入局。済生会呉総合病院内科、広島大学医学部附属病院第一内科勤務を経て、1988年広島赤十字・原爆病院に入職。内視鏡室長、消化器内科部長を歴任し2016年院長に就任。広島大学Splendid Professor、医学博士。