医療法人慶仁会 城山病院
(群馬県 太田市)
李 雅弘 院長
最終更新日:2024/10/09
多彩な医療で地域の医療ニーズに応える
1980年に李雅弘(り・まさひろ)院長が大学病院で習得した知識と経験をもとに地元に貢献したいという思いで開設した「城山病院」。内科と外科を標榜し41床でスタートした同院は、現在、182床を有する地域の中核病院として内科、外科、整形外科の診療をメインに、地域の高齢者の健康を支える存在だ。李院長は、開設間もない時から積極的に救急医療に従事してきたほか、診断の精度を上げるために当時はまだ一般的ではなかったCTやエコーの導入、看護師のレベルアップにも尽力。1991年には腹腔鏡手術に着手するなど、常に時代のニーズを先読みして先進の医療を取り入れてきた。医師になった時からこの道しかないと思って歩んできたと話す李院長。「城山病院」とともにある自身の人生とともに今日までの軌跡を聞いた。(取材日2024年8月21日)
病院の成り立ちと先生のご経歴についてご紹介ください。
私は1967年に昭和大学医学部を卒業し、最初から外科の医師をめざしました。子どもの頃、父と一緒に市民病院の外科に勤務していた叔父のもとを訪ねた際、手術着が血だらけになりながら出てきた叔父の姿にオーラを感じ、その時から自分も外科の医師になろうと思っていました。外科に入局してからは、当時まだ新しい学問だった心臓血管外科に興味を持つようになり、昭和大学病院で臨床を学んだ後、現・聖マリアンナ医科大学東横病院、昭和大学病院麻酔科、外科、国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)心臓外科で、幅広い医療を習得しました。それから10年がたち、父から「地元で診療所を開いて生まれ故郷の医療に貢献したらどうか」と言われたのですが、私は大学にいた経験を生かして病院を開業したいと言ったのです。それならば、ということで1978年のアメリカ短期留学から帰国後の1980年7月、この地に「城山病院」を開業しました。
先生が一から作り上げられた病院なのですね。
41床からスタートし当初は弟と2人で1日おきに当直をしていました。2年目からは昭和大学から医師を派遣してもらい、今でも1年交代で来ていただいています。開業翌年には救急告示病院となり、内科と外科とで救急患者さんを受け入れていましたが、整形外科的な疾患や、脳神経外科あるいは脳神経内科の疾患にも対応するために、整形外科や脳神経内科などさまざまな診療科をそろえることになりました。その頃、院内の設備で私が最も必要だと思ったのがCTと超音波検査機器でした。そこでそれぞれの専門の医師から指導を受け、これらを使いこなすことで診断の精度向上を図ったのです。さらに、看護師のレベルアップのために診療後には勉強会を開き、総合的な術後の管理などを自ら指導してきました。このような院内の取り組みがきっかけで、当院を含む市内の4つの民間病院が協力して、1992年に看護専門学校を開校しました。
病院の今現在の取り組みについても教えてください。
内科、外科、整形外科をメインに各科で専門の医師が診療にあたっています。私は循環器内科を中心に診療し、普光江嘉広(ふこうえ・よしひろ)副院長が消化器内科・消化器外科、長男の李相亮(り・そうりょう)副院長が整形外科、次男の李相翔(り・そうしょう)副院長が糖尿病内科・総合内科の診療を担当しています。また週に1回、泌尿器科、脳神経外科、脳神経内科の外来も開設しています。消化器外科で行う腹腔鏡手術は、普光江副院長の提案で1991年に第一例となる手術を実施しました。初めて腹腔鏡手術を見た時は、「これは手術が変わる」と思いましたね。以来、ずっと腹腔鏡手術を続けており、地域からは「腹腔鏡手術といえば城山病院」と思っていただけていると思います。消化器内科では内視鏡治療に力を入れていて、胃や大腸の内視鏡検査、上部消化管出血の止血手術も、24時間365日体制でできる限りお断りすることなく対応しています。
先生が医師として大切にしていることはありますか?
外来で長く診ている患者さんも多いので、顔を見ただけで今日は元気だね、何かあったかなと感じながら診療をしています。診療では、患者さんのお顔を見ながら手首に手を当てて脈を測り、聴診器で胸の音を聞きます。患者さんから聞くところによると、今は患者さんの顔を見ずにパソコンのカルテばかり見て、脈も取らないという医師が増えているそうですね。いろいろな考え方があると思いますが、私は医師になったときからずっと患者さんの目を見て話をしながら健康状態を確認することを大切にしてきました。恩師から言われたことの一つに、「医師は患者さんを診るのではなく、診させていただいている」という言葉があります。人は元気だったら病院には来ません。具合が悪いから病院に来るのですから、職員一同、どんなときもにこやかに、常に「診させていただいている」という気持ちを忘れないようにしています。
最後に、今後の展望についてお話しください。
創立から44年がたち、今後は病院の増改築や、医師と看護師の確保、医療機器の充実などが課題になってきますが、地道に少しずつ患者さんのため取り組んでいきたいです。ご紹介くださる地域の先生には、術後の経過などのお返事をきちんとするとともに、お会いした時には直接お礼を言うことで信頼を深めていければと思います。37歳で開業し今年81歳になりました。まだまだ現役でいますが、いつかは息子たちにバトンタッチをしなくてはなりません。世代交代の時期も見極めながら病院の経過を見ていきたいです。医師になった時から私にはこの道しかないと思ってやってきました。患者さんの病気が治ることが私にとっての一番幸せです。患者さんの「ありがとうございます」という言葉を聞くためにこれからも医師でいる、それが私の生きる道です。そのような人生の中で迷惑をかけっぱなしの妻には、息子2人を医師にしてくれてありがとうと伝えたいです。
李 雅弘 院長
1967年昭和大学医学部卒業。同大学外科に入局後、昭和大学病院、国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)などでの勤務を経て、1980年城山病院を開業。医学博士。群馬県病院協会理事。東群馬看護専門学校理事長。専門は心臓血管外科・循環器内科。