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医療法人社団晴山会 平山病院

(千葉県 千葉市花見川区)

平山 登志夫 病院長

最終更新日:2020/11/25

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“脱・寝たきり”に早くから取り組む病院

千葉市内の中でも大規模団地として知られる花見川団地。その医療拠点として機能しているのが「医療法人社団晴山会 平山病院」だ。開設されて今年で50周年を迎える同病院を、その熱い情熱で率いているのが平山登志夫院長。平山院長は、若かりし頃インターンとして働いていた聖路加国際病院長、故・橋本寛敏氏の言葉「病気は医者だけが治すのではない。看護師、検査技師、助手などみんなで治す」という言葉を胸に、その時代時代、地域社会が必要とする医療を提供してきている。日本国内で「介護」いう概念もまだ生まれていない時代から、その重要性に着目。特別養護老人ホームや介護老人保健施設も開設してきた。これからは花見川団地の再生に力を入れたいと話す平山院長。同病院の特徴や地域医療への思いなどについて話を聞いた。
(取材日2018年4月26日)

まずは病院の成り立ちからお聞かせください。

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1968年に花見川団地の一室に外科診療所を開設したのが始まりです。当時、花見川団地は陸の孤島のような所で、診療所も一つしかなく医療施設が不足していたのです。私はその頃、銀座菊地病院に外科の医師として勤務していたのですが、千葉の花見川へ来てくれないかという要請を受けましてここに来ました。23床の平山病院が完成したのはその3年後です。私は外科を中心にと考えていたのですが、他に病院がないものですから、いろいろな症状の患者さんたちがひっきりなしにやってきました。小児科は近くで開業なさっていた藤森宗徳先生が診られていましたが、それ以外の診療科はほとんど私の所で診ていました。救急車も次から次へとやってきて、その頃は交通事故や建設現場での事故による搬送が多かったですね。その後、時代とともに救急医療機関も周辺に増えてきたことや、団地住民の高齢化が進んだこともあり、現在、当病院は高齢者医療に特化しています。

特徴的な診療分野について教えてください。

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一つは透析部門です。日本の透析技術は格段に進歩を遂げてきていますね。当病院の透析科では、合併症のある方や通院困難な方など、さまざまな問題を抱えることの多いご高齢の透析患者さんに対して、安心して透析医療を受けていただけるように体制を整えています。また認知症患者さんの透析にも対応しており、神経内科の専門ドクターと協同で治療にあたっています。もう一つ、特徴的なのが手の外科です。手の外科がある病院は千葉市内でも数少ないですね。担当の渡邉寛先生は、山梨医科大学やアメリカのクリニックで手外科の分野について専門的に研究、治療に携わってきています。切断指などの外傷から神経障害、先天性小児疾患まで幅広く治療しており、かなり難しい手術にも対応しています。

高齢者の福祉施設も早くから開設したと伺いました。

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病院開設当初は23床でしたから、救急のためにベッドを開けておく必要がありました。それで症状が落ち着いた方には往診に行くからと帰宅してもらっていたのです。で、あるおばあさんの往診に行きましたら、なんと押入れの中で寝ていたのです。団地は核家族向けで、おばあさんが寝る場所がなかったのですね。その光景に非常にショックを受けまして、病気があっても入れる特別養護老人ホームが必要と痛感しました。それで、社会福祉法人を設立し団地内に開設したのです。当時は「介護」という概念がなく、「お世話をする」「慈善事業」という捉え方でしたね。特養ホームでは、脳卒中で倒れた50代の寝たきりの方が多かったのですが、寝たきりにしておいて本当によいのか、との思いから少しずつリハビリテーションを始めたのです。そのうちに、座る、立つ、つかまり歩き、トイレに行ける、と徐々に運動機能が回復し、最終的に自宅に帰れる人も増えてきました。

まさに今言われる地域包括医療の先がけ的な存在だったのですね。

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その頃はそんな概念も制度もなかったですけどね(笑)。困っている人を助けたいという想いのもと特別養護老人ホームや介護老人保健施設、障害者支援施設、就労・生活支援センターなども作ってきました。現在、当病院では近隣病院で急性期治療を受けた後、回復期リハビリテーションが必要な方や入院透析が必要な方、療養入院が必要な方など幅広く受け入れています。また、その方の症状や生活環境によって在宅医療や各施設への入居など関連施設の連携によって幅広く対応しています。聖路加国際病院のインターン時代、当時の橋本寛敏病院長が訓示としてよく話していた「病気は医者が治すものではない、医者、看護師、検査技師、みんなで治すもの」という言葉を現在もスタッフ一同心に刻んでおり、各現場では、医師、看護師、介護士、療法士もみんな一緒のレベルで連携しながら日々の治療やケアに臨んでいます。

では今後の展望についてお話しください。

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これからは花見川団地の再生に力を入れていきたいと考えています。今、団地は空き家が多く、商店街もシャッター通りとなっています。独居老人の方も多く、地域とのつながりが以前と比べると少ないですね。何か困りごとがあっても相談する人もいない、助けてくれる人もいない。室内の電球が切れて交換できず、暗くて暮らせないので施設に入りたいなどといった相談もあるほどです。そんなご高齢の方々がどんなことでもざっくばらんに気楽に相談できるように「まちかど相談室」を商店街の一角に開設しました。相談室には社会福祉士、介護福祉士、看護師が常駐し、相談内容や困りごとに応じて各医療機関や福祉施設の紹介、ボランティア団体との橋渡しなどを行っています。やはり皆さん住み慣れた場所でずっと暮らしたいと願っていることでしょう。この相談室を活用していただいて皆さん花見川団地でより長く健やかに過ごしていただきたいですね。

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平山 登志夫 病院長

医療法人社団・社会福祉法人 晴山会理事長。1955年日本医科大学卒業後、聖路加国際病院にインターンとして入局。以後同病院、その後、銀座菊地病院に勤務。1968年平山外科診療所、1971年に平山病院を現在地に開設。1977年に特別養護老人ホーム開設。以後、千葉県を中心に病院、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、障害者支援施設などを展開。

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